Discography

The Last One〈Poésies : Les Rallizes Dénudés〉裸のラリーズ詩集

The Last One Musique
ISBN: 978-4-909856-01-2
発売日:2023年12月1日
フォーマット:BOOK+1CD

付属CD収録曲:
イビスキュスの花
(TBVC-0006)


歌、歌詞あるいは詩:水谷孝の世界
2023年12月1日、展覧会イベントでの市田良彦氏による解説(一部抜粋)

私は2007年に日本語で一種の音楽論でもある哲学書を出しました。その中の一章でラリーズを大きく取り上げました。そのことが、今回の詩集刊行に携わることになった遠因です。The Last One Musiqueで詩集の企画がすでに立ち上がり、詩の英語訳もはじまっていた2022年の秋、仏語訳を手伝ってもらえないかという打診がありました。間に立ったのは、詩集にエッセイを寄稿している私の友人鈴木創士です。お話があって最初に思ったのは「できるのか?」でした。私にできるのかという不安と同時に、そもそも「あれ」をちゃんとしたフランス語の詩にできるのかという疑念です。いくつかの詩句を頭に思い浮かべても、「日本語としてどういう意味?どういう詩的ドラマトゥルギーに支えられている?」と疑問ばかりです。たとえばラリーズのライブを締めくる定番曲”The Last One”の One って何よ、です。人ですか物ですか歌ですか?そういうことが分からないかぎり、あるいは少なくともちゃんと解釈してある種の決断をほどこさないかぎり、詩は外国語にならないでしょう。だから、そんな疑念もはっきりお伝えしました。
それでも私が腹を括って仕事をお引き受けしたのは、水谷さんの言葉の世界があまりに粗雑に扱われ、ぼんやりとしたまま英語に訳されて世界中に流通していると思えたからです。彼が出したオフィシャル盤にはいわゆる歌詞カードが付いていません。それはもちろん、自分の言葉は音に乗せてはじめて「作品」になる、という水谷さんの信念からであったでしょう。ですが現状は、裸のラリーズが世界中で有名になったせいで逆に、音楽と不可分であった彼の言葉を置き去りにしていないでしょうか。ちょっと呆れた英語訳を目にしたこともあります。
危機感の最大のありかはしかし日本語の「原詞」さえどのように確定してよいかおぼつかないところにありました。水谷さんは同じと思える曲でも時期によって歌い方を変えていたりしますから。ですから、何度も検討会を持ち、文字通り日本語と英語とフランス語を往復しながら三つの言語のテキストを同時に確定していきました。
もっとも大切にしたのは、オフィシャル三作の聞き直しです。そこにどう歌われているかを私たちの言わばテキスト確定における根拠にする。しかしすぐにお分かりいただけると思いますが、どう詩のいわゆる「連」(数行ごとのまとまり)を作るか、かな漢字表記をどうするか(漢字を間違えば別の語になってしまう)は一筋縄ではいきません。そもそもよく聞き取れない部分もあったりする。そのため私たちは水谷さんの創作ノートに立ち返ること、バンド関係者の証言(彼が周囲に何を語っていたか)を参考にすることも行いました。とにかく日本語「原詞」の決定さえ、ゼロベースでやり直したのです。例えば ZOUKA NO GENYA という歌がありますが、これってどう綴ればよいのでしょう。「造花」でしょうか「造化」でしょうか。これはノートにあたることで「造花」と判明しました。
私にとって極めて興味深かったのは、日本語をフランス語にすることではじめて見えてくる細部の連関が多々あった点です。同時に、あれ、この言葉は一種の出典をフランスの詩に持っているのでは?と思える箇所がどんどん出てくる。もちろん水谷さんはお気に入りの詩人の言葉をそのまま引用するようなことはほとんどしていません。それでも例えば「夜、暗殺者の夜」という曲に出てくる「虚無の一滴」という語を « la goutte de néant »とフランス語にしてみると、象徴派詩人マラルメの「イジチュール」から来ていると思わずにはいられない。有名な語句ですから、文学に疎い私でも知っている。私がどう水谷さんの詩を読もうとフランス人にはマラルメを想起させる。こういう想起の連鎖をどんどん文献的に辿っていく作業を、水谷さんのノートや蔵書について根掘り葉掘り聞き出しながら進め、仏語訳を練り上げていったわけです。私なりの取材を進める中で、水谷さんがバンド活動をはじめる前、「詩歌研究会」という同志社大学のサークルに参加していたことも知りました。彼はまさに詩から出発して音楽の道に入り、その道においてもそのまま詩人であったわけです。したがって私の仕事は彼が歩いた道を逆に辿るような一面を持ちました。正直、この歳になってボードレールやロートレアモンを日本語とフランス語の両方で詳細に読み直すとは思ってもいませんでした。
とにかく私としては声を大にして言いたい。この本に収められているのは一つの言語宇宙をなすよう構想された「詩 poésie」であって、音楽の付属品としての「歌詞 lyrics」ではありません。それもある時期からは詩相互の連関が際立つようになり、全体として一つの連詩のように読むことができる。そのあたりどういう機微になっているかについては、ぜひ「あとがき」をお読みいただきたいですが、私としては個人的には、フランスの文学愛好者たちが本書をどう受け取るだろうというところに大きな関心を寄せています。しかし日本の読者の方にも思ってもらえると確信しています。こんな内容の詩がロックになったこと、ロックとして歌われたことがはたしてあったろうか。けれどもボブ・ディランがノーベル文学賞をもらう時代です。水谷孝の言葉の群れが音と合わさって一つの「文学」をなす、私たちの読んだことも聞いたこともない「文学」になる、と考えてなぜいけないだろうか。足掛け1年に亘った仕事が終わりに近づくにつれ、私はその思いを強くするようになりました。詩集を読み、数々の音源を聴き、聴き直すことにより、皆さんもその思いをきっと共有してくださるであろうことを私は疑っていません。

詩についてはとにかく本を読んでもらうとして、本日は水谷さんがいかに詩作に心血を注いでいたか、言葉そのものに神経を研ぎ澄ましていたかを実感してもらえるような点を少しだけ、本書のさわりとしてご紹介したいと思います。
まず水谷さん唯一の映像作品のほぼ冒頭。ロートレアモン『マルドロールの歌』の一部がそのままフランス語で引用されています。この引用、引用としてははっきり言っておかしい。奇妙、ある意味ルール違反です。Il faut que tu me le dises「おまえはそれを私に言わねばならない」の「それ」が何か、引用の最後まで読んでも分からないのです。しかしロートレアモンの原文を紐解けば、答えは引用されていない箇所にすぐ見つかります。それをここでは紹介しませんが、水谷さんの演出では、この「それ」が「裸のラリーズ」とは何かに対する一つの答えでもあるかのようになっているのです。一種の黙説法(沈黙に意味を持たせる)ですが、画面にない文章とこれからはじまる音と映像が、引用によって見事に結びつけられています。その手法の鮮やかさに気づいたとき、私は仰天しました。なんと手の込んだことをするのか!と。水谷さんの詩にはこんな仕掛けが至るところにあるに違いない、と私が思い知った瞬間です。

私の「あとがき」は最終的に、『’77 Live』というアルバム全体がマラルメの未完の大作「エロディアード」に対する水谷さんからの返歌として「読める」のではないか、という仮説を提出しています。ご承知かもしれませんが、先に言及した「イジチュール」は「エロディアード」の習作です。もちろん、アルバムにはスペインの詩人ロルカへの参照や、ボードレール『悪の華』の残響も聞き取ることができるのですが、とにかく全体として『77Live』は誰よりもマラルメと響き合って独自の詩的宇宙を作っている、と私には読めました。おそらく水谷さん本人もはっきりとは自覚しないうちに。私の印象は私の妄想の産物、フランス語に浸りすぎた故の妄言であるかもしれませんが、「あとがき」は、どこまでも文献考証的に書いたつもりです。一応学者ですので。分からないところを空想で埋めたつもりはありません。ほんとうにそうであるかは日本語だけでなく英仏語の読者にもぜひ検証していただきたいところです。しかし、詩と「あとがき」を行きつ戻りつして合わせ読んでいただければ、一冊の本として、水谷さんが設えた「裸のラリーズ」という迷宮へのガイドブックにはなっていると思います。少なくとも、迷宮に足を踏み入れた私の彷徨を追体験していただける、と。その奥、中心に何があるのかないのかは私から言うべきことのようには思えません。編者としての私の願いは読者が本書を読むことで、ラリーズのライブを別次元で堪能することになる、それだけです。いや、もう少し踏み込んで言わせてもらえば、その迷宮の中心にまた中身不明の謎の箱が置かれているような中心を「作品」によって開くことのできた水谷孝は、紛れもない「作家」です。その「作品」が音楽であろうと詩であろうと。

水谷さんの創作ノートを中村さんに撮ってもらった写真は、詩集にも収録されています。私の思うに、注目すべきはノートのこのページが一つの証拠になっているように見える点です。何の証拠でしょうか。水谷さんが数々の歌を別々に作っていたのではないということの証拠です。どの歌も独立した「曲 piece」ではない。彼はその都度のライブで歌う言葉を、こうした詩句の群れから文字通り生成させていたわけです。だから曲の区別があやふやになる。同じ詩句が別のコード進行とメロディーに乗ったりする。詩句を別々の詩として確定すると、迷宮の中にある各部屋のように思えてきたりもするのです。そして写真左側のノートからは、そんな曲の背景に映像イメージがあったことも窺えます。「メメント・モリ」、死を思え、ですね。水谷さんの詩群の一つのモチーフでしょう。ラリーズのライブにはいわゆるセットリストというものがありませんでした。水谷さんはそれぞれ緩やかに定められた詩句の群れと音の群れから、その都度その場で、気分に合った組み合わせを決めていたわけです。まるで中世の吟遊詩人です。あるいは、ギリシャにまだ宮廷の外で使える文字がなかった時代に辻々に現れて神々と民の「物語=唄」を語り聞かせていたホメロスやヘシオドスのよう。とにかくこのノートを見たときはちょっと感動的でした。繰り返しますが、裸のラリーズはロックバンドなのです。20世紀の。時代性と反時代性、一字一句揺るがせにしない緻密さと奔放な即興性を極端な形で同居させている。確定したテキストとして詩の集成を編んだ私たちのどこまでも通俗近代人的な企てと矛盾するような事態ですが、歌を書字(エクリチュール)にしてはじめて見えてくる、歌の間の境目のなさもあるだろうと私は考えています。そのため、私が「あとがき」で提示した解釈とは違う読み方も、もちろん可能なはずです。まだまだ埋もれている詩的イメージの連鎖、影響関係は多くあるだろうと思います。この詩集を出発点に、そうした議論が活発に行われることを編者としては願わずにいられません。

最後に、付属CDについて少しだけ触れておきたいと思います。CDに収めた曲は「イビュスキュスの花」を歌っていますが「イビュスキュス」ってなんでしょう。もちろん「ハイビスカス」です。水谷さんはそれをわざとフランス語式に発音している。どうしてでしょうか。おそらく、彼が愛したコクトーの映画作品へのオマージュでしょう。映画は『オルフェの遺言:私になぜと問いたもうな』というタイトルです。この映画において「イビュスキュス」は詩の魂の象徴です。詩人の恋人セジェストの手によって海の底から摘んでこられ、詩人に手渡されます。ヴィヨンの「遺言」〔※水谷によって曲と関連づけられた1969年4月26日の京都・射手座公演のパンフレットに、彼はフランソワ・ヴィヨンの「遺言詩集」から次の一節を引いている(詳細はライナーノーツ参照)。「死ぬものは、たとい パリスであろうと、またエレーヌであろうとも 誰であろうと、息も呼吸も止まるほど 苦しんで死ぬ」〕とコクトーの「遺言」が水谷さんの手でこの歌「イビュスキュスの花」に結びあわされているのです。「私たち」――とあえて複数形で言わせてもらいます――はそれを詩人水谷孝の遺言として皆さんにお届けしたいと思います。