後年「裸のラリーズ」にベーシストとして加入することになる高田清博(愛称:どろんこ)は、客としてOZに出入りしながら、店の機材のメインテナンスを請け負うようになり、武蔵野公会堂で行なわれたコンサートや『OZ DAYS LIVE』のレコーディングで、音響スタッフとしてバンドと深く関わっていく。
どろんこ:18くらいからバンドをやりたくて、よく吉祥寺に行ってたのも、一緒にやるメンバーを探していたから。ちょうどその頃、OZっていう店が出来て。僕が初めて出会った、生のライブが見られる場所だった。「ここにいたら、あのステージに立って演奏するチャンスがあるぞ」と思いながら通い始めて、店の人たちともどんどん仲良くなってね。店内じゃ好き勝手やってたけど、スタッフになったことは1度もなくて、ずーっとお客の立場です。ただ、アンプの音が鳴らないとか、マイクの調子が悪いとか、ミュージシャンがああだこうだ言ってても、店側で対応する人がいない。そんな様子を見て、「じゃあ僕やります」って感じで(笑)。
ある時「京都からバンドを呼んできた」なんていう話を聞いて、出演者の載ったチラシを見たら「裸のラリーズ」って書いてある。なんか変わった名前だよね。「これ、なんだろう? バロウズの小説の間違いじゃないのかな。ちょっと見てみよう」と思って、OZに行ったら、自分がやりたかったのに似たサウンドなんですよ。歪み系だけども、キレイな音でね。すごくシンプルな演奏で、スピード感があって。みんな20歳くらいで元気だし、すごい軽やかなバンドだった。その後は黒くなっていくけど、当時はまだそういうイメージもなく、メンバーみんなカラフルだし。とても爽やかで、暗さは全くない。むしろ明るくて、元気で、よく笑ってた。『OZ DAYS LIVE』に記録されたのは、その時期の演奏。
そのうち、武蔵野公会堂でラリーズのリサイタルをやるっていうんで、今で言うPAをやってくれないかと頼まれた。そこでは、物凄い大音響を作ったんです。当時はまだPAというものは存在してなくて、ヴォーカル・アンプを通した歌の音量に合わせて演奏するしかなかった。他の楽器の音を大きくしたら、ヴォーカルが埋もれちゃう。でも、ヴォーカルの音を大きくすれば、楽器もデカい音で演奏できるでしょう。で、店長の手塚君に「ヴォーカル・アンプを2台、並列で接続してやりたい」と言ったら、たぶん当時の日本で最強クラスのアンプを借りてきてくれた。クリエイションってバンドが持ってたやつをね。それで、ヴォーカルをデカい音で鳴らせるようにしたんで、演奏の方も相当デカい音になったんだ。
ハリマオー:73年初頭、OZ主催で「裸のラリーズ コンサート」をやろうという企画が持ち上がり、店長手塚氏主導のもとOZ関係者総動員で準備を開始した。会場はOZの地元吉祥寺の武蔵野公会堂。カッコいいポスターも出来上がった。
当時OZにあったギター・アンプはドイツのホフマンというメーカーのアンプで、どろんこ君がメンテにメンテを重ね、騙し騙し使っていた、いわばボロボロの機材だった。ホール・コンサートには些か不安なコンディション。この晴れ舞台のために手塚氏は当時OZに出演したバンドのひとつ、クリエイションから機材提供を取り付けてきた。届いたアンプはRoyal Super Bunny。外見は英国のOrangeに似たオレンジ色の真空管アンプで、キャビ2段積みが2セット! これでも国産だったような気がする。当日、水谷さんはヘッド2台とキャビ4発を一人で鳴らした。重厚なサウンドがホールに鳴り響く。
ラリーズのメンバーもスタッフも全員、前の晩から泊まり込みでOZに集結。日本ではまだ誰も観たことがないような、斬新でサイケデリックな空間を演出しようと徹夜で準備が始まった。ライトショウのプランは非常に凝ったものとなった。オーバーヘッド・プロジェクターによるOILライティングを導入。ライトショウは日大芸術学科映像科を卒業したあとインドなどを放浪して戻ってきた連中が担当した。写真家・望月彰君の大学時代からの仲間で、ラリーズでベースを弾いたこともある大岩勝さんもこの時のチーム・メンバーだった。振り返れば73年当時の日本に於いて、ここまで本格的なサイケデリック・アートを実現したライブ・パフォーマンスは、裸のラリーズをおいて他になかったのではないかと思う。
手塚実:武蔵野公会堂を借りて、ラリーズの単独コンサートをやったとき、初めてオーバーヘッドという機材を借りて、バックに油のグニャグニャした水玉の映像を写す演出をやった。2時間くらい演奏したけど、凄かったよ。客も結構集まった。ギター・ソロがずーっと続くんで、下向いて出ていったやつもいたけどね。
ライブの後、武蔵野公会堂は出入り禁止になった。理由のひとつは、まず時間超過。あと、客か誰かが何か破損したらしくてさ。なんやかんやで「もう2度と貸しません」と言われたよ。
まもなくOZは、同年の9月に閉店することとなり、それを受けて、「OZ LAST DAYS」というシリーズ・ライブが企画された。また、ラリーズを含む出演者数組による演奏を収録したオムニバス・アルバム『OZ DAYS LIVE』も制作されることになる。